卑弥呼から聖徳太子までの日本400年の空白期について

6c59774fa2a543765ecde856da570523_t
1 : 2019/04/18(木) 22:11:03

謎すぎ
2 : 2019/04/18(木) 22:12:01

予言しておく
このスレは荒れる
3 : 2019/04/18(木) 22:13:07

400年もあるんだその間


5 : 2019/04/18(木) 22:20:52

台与(壱与)
6 : 2019/04/18(木) 22:20:55

卑弥呼も聖徳太子も実在していないと考えたら···
8 : 2019/04/18(木) 22:22:03

つまらん領土争い政治争いの数百年だよ
9 : 2019/04/18(木) 22:22:34

日本っていうひとまとまりの国なんかなかったから仕方がない
11 : 2019/04/18(木) 22:23:25

>>9
じゃあ何があったんだい
32 : 2019/04/18(木) 22:35:07

>>11
土地と民
国はなかった
なんか勝手に中国相手に朝貢してたのがいてそいつらだけが文字になった
12 : 2019/04/18(木) 22:23:41

倭の五王とかあるやん
20 : 2019/04/18(木) 22:27:25

>>12
それ5世紀になってからの話な
13 : 2019/04/18(木) 22:24:04

むしろひとまとまりの国だったことを無かったことにされたのかも知れない
14 : 2019/04/18(木) 22:24:45

卑弥呼 242年〜248年ごろ死亡
聖徳太子 572年誕生

正しくは330年くらいだな
15 : 2019/04/18(木) 22:24:57

邪馬台国とか大和朝廷とかっていう今で言う県レベルの雑魚国があって
その他の地域はそんなのお構いなしにどんぐり食ったりしてたんだろ
16 : 2019/04/18(木) 22:25:14

>>1
捏造多いから
18 : 2019/04/18(木) 22:26:10

中国の歴史文献において266年から413年にかけての倭国に関する記述がなく、ヤマト王権の成立過程などが把握できないため、日本において「空白の4世紀」とも呼ばれている
19 : 2019/04/18(木) 22:26:17

帥升という王がいたらしい
日本神話に登場するスサノオに同定される
77 : 2019/04/18(木) 23:11:55

>>19
日本最初の王は卑弥呼じゃないのに
なぜ無名なんだろうな
認められてないの?
24 : 2019/04/18(木) 22:30:25

畿内
出雲
九州

にそれぞれ王朝があって鼎立していたと思う
26 : 2019/04/18(木) 22:31:52

伝達手段も足も政府も法も文字もない時代だぞ
統一とか不可能だから
27 : 2019/04/18(木) 22:32:08

要は中華帝国に朝貢した記録があるかないかでしょ
そんな余裕なかったんだろうな戦争戦争で
28 : 2019/04/18(木) 22:33:11

抹殺された九州王朝やろなあ
29 : 2019/04/18(木) 22:34:13

戦争戦争だったのは中国の方
33 : 2019/04/18(木) 22:35:18

史料がないから仕方ない

あったといても中国のだし
36 : 2019/04/18(木) 22:37:47

卑弥呼ってナントカエモンみたいなセシュウセイだろ
38 : 2019/04/18(木) 22:40:23

古事記日本書紀を作った人らは魏志は見とらんの?
129 : 2019/04/18(木) 23:54:30

>>38
日本書紀では神功皇后=卑弥呼説を採用しているが
注という形で載せてある
41 : 2019/04/18(木) 22:42:17

卑弥呼の死後に13歳で女王になった台与たんの方が良いわ
42 : 2019/04/18(木) 22:42:23

台与
古墳時代
儒教、漢字伝来
倭の五王
武烈-継体
磐井の乱
仏教伝来
蘇我氏物部氏
崇峻暗殺
43 : 2019/04/18(木) 22:42:47

古代の戦争で大和が九州まで遠征できたのか?
44 : 2019/04/18(木) 22:43:50

厩戸王子の前は、それなりに詰められるだろう
用明天皇ぐらいで止まるかも知れないが
45 : 2019/04/18(木) 22:44:12

九州に邪馬台国とかあるわけないしw
46 : 2019/04/18(木) 22:44:52

卑弥呼はアマテラス
帥升はスサノオ
台与は豊宇気姫命
47 : 2019/04/18(木) 22:45:21

倭の五王(わのごおう)
古代中国の歴史書に登場する倭国の五人の王、讃・珍・済・興・武をいう
5世紀初頭から末葉まで、およそ1世紀近くに渡って主に南朝の宋(420年-479年)に朝貢した
宋に続く南斉の史書『南斉書』・梁の『梁書』にも、宋代の倭王の遣使について触れられている
478年の遣使を最後として、倭王は1世紀近く続けた中国への朝貢を打ち切っている
倭王が中国の冊封体制から離脱し自ら天下を治める独自の国家を志向しようとした
意思を読み取る見方もある
天皇と倭の五王
49 : 2019/04/18(木) 22:48:14

古事記と日本書紀
倭の五王に比定される天皇の時代に「呉国」と使者のやり取りがあったという
記述があり、「呉」とは中国南東部の地域に当たることからこれが南朝の宋を
意味するとも考えられる
51 : 2019/04/18(木) 22:50:16

大体文字が存在しないんだから
記録を残しようがないよな

万葉仮名見て愕然としたわ
57 : 2019/04/18(木) 22:55:09

ここが日本史上最大のロマンだよな
60 : 2019/04/18(木) 22:56:53

どちらかいうと弥生の前の縄文の方が不明だよね
61 : 2019/04/18(木) 22:57:00

卑弥呼が10代崇神のころで
聖徳太子が33代推古の頃だから
大体年代合うし
日本書紀にも色々書かれるやろ
75 : 2019/04/18(木) 23:10:02

卑弥呼から大和朝廷に直結してると考えるのは無理がある
76 : 2019/04/18(木) 23:10:09

わからないから
卑弥呼にしろ大和朝廷にしろ
縄文人の末裔国家だって証明できるんだよね
渡来系が上層部に居たら
漢文の文章があちこちから出土している
79 : 2019/04/18(木) 23:12:24

文字をもたない指導者じゃ広域を支配するのは無理だろう
卑弥呼以降も部族社会みたいなのが続いて
ある時期に渡来系が大和朝廷を作って支配したんだろう
82 : 2019/04/18(木) 23:15:18

>>79
大和朝廷と同様文字が無く(少数の識字技能者は卑弥呼の時代からいた)キープで代用していた南米の王朝は広域を支配していたが
80 : 2019/04/18(木) 23:12:44

本当に空白なのは雄略天皇〜斉明天皇までなんだよなあ
空白の6世紀
83 : 2019/04/18(木) 23:16:20

大化の改新以前の記録が当時の新政権にとって都合が悪かったんだろ
聖徳太子は蘇我氏の一族だったり
84 : 2019/04/18(木) 23:17:14

聖徳太子の時代の当時の文献だってほとんど残ってないし
そんなもんだろ
残ってないというだけで文字がなかったというのは飛躍しすぎ
96 : 2019/04/18(木) 23:22:06

>>84
中国では殷の甲骨文字以降遺跡から文字が出て来るんだけど日本で見つかった木簡は飛鳥時代以降
172 : 2019/04/19(金) 00:38:14

>>96
漢字の書いた古墳時代の土器は見つかってるよ
文章になってないので意味も目的も分からないままだが
87 : 2019/04/18(木) 23:18:20

写本していかないと残らないからな
それ以前の文献は全部焼かれたのかも
88 : 2019/04/18(木) 23:19:08

よその国の文献にあたるしかないってのはブリテンなんかも同様
95 : 2019/04/18(木) 23:21:55

卑弥呼は伊都国を治めてた地方豪族だろ
仲哀天皇がなぜ九州なんかに拠点を置いたのか
朝鮮ルートで海外貿易確保と同時に九州制圧が目的で卑弥呼もそういう流れで
淘汰された豪族の一人じゃないの?
熊襲退治とか古事記にはやたら九州に天皇家に従わない勢力出てくるよね
98 : 2019/04/18(木) 23:23:48

俺も邪馬台国は九州にあって
近畿の大和朝廷に滅ぼされたんだと思う
124 : 2019/04/18(木) 23:49:00

>>98
そんな単純な話ではないと思う
103 : 2019/04/18(木) 23:27:03

場所すら適当な魏志倭人伝だからな
邪馬台国が日本の中心みたいに書いてるけど実際は地方勢力にすぎないって可能性は十分ある
106 : 2019/04/18(木) 23:28:58

日本の隅々まで証拠を消すなんてできるわけがない
支配層が縄文人で
奴隷か流民が渡来系でないと説明がつかない
渡来系が占領したならそれを正当化する文章が残っていて継承されるでしょう
108 : 2019/04/18(木) 23:32:43

>>106
文字を使えたのなんてごく一握りのエリートだけだったろうし
文字で文書を残そうという意思もなかっただろう
現在に残ってなくても何ら不思議ではない
109 : 2019/04/18(木) 23:33:52

むしろそこまで空白だったのに
突然文明が誕生したように見える事こそ
渡来系の勢力の証明のような気がするが
111 : 2019/04/18(木) 23:37:56

突然文明が誕生したわけではなく文字を使うようになっただけ
それ以前の歴史は語り部が代々語り継いできてたから古事記にして残した
古事記には天皇家を神格するための嘘っぱちもあれば語り継がれた歴史もあるんじゃなかろうか
144 : 2019/04/19(金) 00:09:41

>>111
古事記を編んだ太安万侶って初代神武天皇の長男で祭祀を司った血筋だから
本家である皇室の正当化なり神格化なりは当たり前のことでしょ
逆に言えば古事記こそ天皇一族の伝承とも言える訳で
114 : 2019/04/18(木) 23:41:08

だから渡来系に力があったならその前に記述が大量に残ってる
少数のエリートにすらいなかったとみるのが妥当
116 : 2019/04/18(木) 23:43:04

難しいのが文字が無いと文化が無いとして狩猟時代と同じに考えてしまうこと
縄文土器や青森方面の遺構からだと文字が見られなくてもボチボチ
一定数の人が集まり他の国(集団)と交易も考えられる
そもそも文字が無い社会はどうやって土器つくり土木測量や船つくりを伝え維持したんだろう
120 : 2019/04/18(木) 23:44:55

>>116
口伝じゃないのか
伝統芸能は一子相伝てのはまだあるし
133 : 2019/04/18(木) 23:57:37

>>116
歌とか口伝だろ
文字なしの文化継承なら北海道いってアイヌ人に教えてもらえ
121 : 2019/04/18(木) 23:45:56

邪馬台国だってヤマト国だったんじゃねえーの
卑弥呼だって日巫女で天照大神だったんじゃねーの
128 : 2019/04/18(木) 23:54:00

なぜ人類が文字を使うようになったかといえば
文字化(つまり書面化)しておかなければトラブルが解決できなくなったからで
文字なんぞ使わなくても社会が滞りなく回る(例えば1万年続いた縄文時代みたいに)なら無文字文化のままでいるのが正常
141 : 2019/04/19(金) 00:06:41

聖徳太子が初めて法律作ったんだから
そこから文書に残す文化ができたのはなんとなく分かるよな
164 : 2019/04/19(金) 00:25:45

そもそも歴史が残ってる方がおかしい
統一した国家じゃないのに
中国やエジプトやローマがおかしいだけ
176 : 2019/04/19(金) 00:44:57

原始的な時代から急に文明が生まれるような間違ったイメージを持つ教育はどうかと思う
中国は三国志の時代だぞ
あそこまでではないにしろそんなに大きく違いはないはず
日本でも大国主と天皇家で大きな戦やってたんでしょ?知らんけど
185 : 2019/04/19(金) 01:02:08

そもそも卑弥呼ってただの占いババアだろ
統治も糞もないぞ
207 : 2019/04/19(金) 01:29:31

神功皇后伝説は福岡の神社にたくさん残ってる
室町か鎌倉かわすれたけどそのぐらいの時期に後付された伝承というけど
当時の人がすんなり受け入れて未だに伝わってるとこ見るとまるっきり作り話とも思えない
神功仲哀大和タケルぐらいはいたんじゃないかと信じてみたい
211 : 2019/04/19(金) 01:35:48

>>207
神武天皇の伝説もあちこちに残ってる
数としては神武天皇と神功皇后と聖徳太子が同じくらい伝承が豊富
208 : 2019/04/19(金) 01:30:24

台与が「とよ」って読むんだから、邪馬台国も「やまとこく」って読めるよな?
214 : 2019/04/19(金) 01:35:58

「トヨ」も「ヒミコ」も大陸の人が書いた漢字を中世以降の感覚で日本語読みしたんちゃうの
とうじの大陸の人がどういう音で読んでいたか分かっているのかな
224 : 2019/04/19(金) 01:50:29

>>214
ヒミコの漢字の当て字は明らかな蔑称であって普通、他国の女王に「卑」なんて文字は使わんからな
恐らく、「何とかのヒメミコ」のヒメミコだけとって卑弥呼という文字を当てたのだと思う
晩年の古田武彦は「俾弥呼(ヒミカ)」と言ってたが
219 : 2019/04/19(金) 01:42:09

卑弥呼の時代に天皇家が倭国を統一していたなら金印が畑に落ちているわけがないよな
天皇家が保存しているはず
226 : 2019/04/19(金) 01:53:22

>>219
畑に落ちてたのは奴国な
倭の中の奴国王に認めちゃるっていう金印
この倭は地域名だな
そんで形からしてそこそこの待遇の金印
228 : 2019/04/19(金) 01:56:47

>>226
文法的におかしいんだけどね
アレはやはり漢の「委奴国」王と読むべきだと思う
229 : 2019/04/19(金) 01:56:57

>>219
卑弥呼の金印は伝説上の存在で未発見
漢委奴国王印は漢の時代で卑弥呼より前
西暦57年に送ったとされる後漢の記録がある
卑弥呼は漢より200年ほど後の三国時代、魏志に記録される(西暦238年)
漢委奴国王印は奴の国の王に与えられたもので
天皇家に与えられたものではない
漢委奴国王印は巨石に封印されていたもので
単に畑に転がっていたわけではない
241 : 2019/04/19(金) 02:51:58

57年 倭の奴国王が後漢に使者を送る
239年 邪馬台国の卑弥呼が魏に使者を送る
古墳時代 3世紀後半 大和王権が誕生する
478年 倭の五王の武が宋(南朝)に使者を送る
538年 仏教伝来(552年説あり)
587年 蘇我馬子が物部守屋を滅ぼす
飛鳥時代 593年 聖徳太子(厩戸王)が摂政となる
603年 冠位十二階を制定
604年 十七条憲法を制定
607年 小野妹子を使者として隋に遣隋使を贈る
630年 第一回遣唐使を派遣
645年 大化の改新が始まる
247 : 2019/04/19(金) 07:57:21

>>241
57年の奴国が後漢に使者送った結果が金印なの?
246 : 2019/04/19(金) 07:56:43

神社の創建とかでなんとなく文明としては存在してたんだなってわかる程度なのかな
飛鳥時代でも国としては形になってたし卑弥呼から飛鳥時代までが神話でしかわからん
250 : 2019/04/19(金) 08:50:23

神功皇后の妊娠期間が長いのは
途中で別の人の逸話が足されてるからなのか
父親が仲哀天皇じゃないからなのか
251 : 2019/04/19(金) 09:03:07

日本書紀は当時伝えられていた神話や歴史をどれが真実と判断せずに並べて載せている
稗田阿礼はそれらを読んで一つの流れにまとめた
それが古事記



この記事へのコメント

  • 名無しのネタめしさん

    和(倭)と大和(邪馬台)は別の国って解釈で良いの?
    2019年04月21日 01:57
  • 名無しのネタめしさん

    >>1
    邪馬台国は中国(魏)に朝貢していた、日本としては都合が悪い
    そもそも邪馬台国ってのは中国が他国につける蔑称
    天皇を奉る段階でそれは都合が悪いってんで、大和朝廷とは全く別のものですよってことにした
    2019年04月21日 02:34
  • 名無しのネタめしさん

    天皇記や国記、帝紀、旧辞といった古事記以前の書物が現存していれば…
    藤原氏がドサクサに紛れて皆燃やしたんじゃなかろうか
    2019年04月21日 10:59